第三番 常光寺

樹齢六百年の銀杏の古木が見守ってきた歴史ある寺。臨済宗南禅寺派。河内最古の音頭発祥の地として親しまれています。

第三番札所

法語=随所作主 立処皆真

◆大阪府八尾市本町五ー八ー一  TEL072(922)7749

常光寺の山門 銀杏

乱世を生きた寺

奈良時代の高僧行基が聖武天皇の勅願で創建したと伝えられています。本尊は地蔵菩薩立像。南北朝時代、南朝のために尽力した、楠木正成の家臣・八尾別当顕幸の墓が本堂横の墓地に残っています。

藤堂高虎隊七十一士の墓
藤堂高虎隊七十一士の墓

当時は新堂寺と称していましたが、室町時代の初め、康応元年(一三八九)足利義満が、当時の住職・通玄和尚に「常光寺」「初日山」の扁額を奉納、以来初日山常光寺と呼ばれるようになりました。

南北朝の戦乱で荒廃した伽藍は再興されたものの、後の大坂夏の陣でこの付近は決戦場となり、またしても戦乱に巻き込まれます。しかしこの寺を徳川幕府のブレーン金地院崇伝が抱え寺としていたため、徳川家康の制札により、寺は被害を免れました。

この戦いで藤堂高虎隊は豊臣方の長曽我部盛親隊と激戦の末勝利しますが、多くの重臣家臣を失います。戦死した七十一士の墓は本堂裏にあります。高虎が長曽我部家臣の首改めをしたという廊下の板は、そのまま天井に上げられ、今も「常光寺の血天井」として保存されています。

血天井
血天井
地蔵菩薩立像
地蔵菩薩立像

西の大関

常光寺の本尊で、「八尾地蔵」と称され、安産の霊験で知られる地蔵菩薩は千二百年近く前、弘仁年間に参議小野篁が作り、安置したと伝えられている木彫立像です。平安時代の寛治二年(一〇八八)に白河法皇がこの地蔵菩薩の霊験あらたかな話を聞き、高野山参詣の折に当寺に参拝されたともいわれています。

伊勢関の地蔵、大和の矢田地蔵とこの八尾地蔵が日本の三地蔵といわれています。江戸時代中期発行の諸国地蔵尊番附によると、東の大関が関の地蔵、西の大関が河内の八尾地蔵となっています。尚この本尊・八尾地蔵は秘仏のためふだんは拝観できません。開扉されるのは四月二十四日と八月二十三・二十四日の三日間だけです。

地獄極楽絵巻のお練供養と地図
常光寺の盆踊り