法語=山色清浄身
◆大阪府富田林市大字甘南備一一〇三 TEL072(135)5161
久しくとだえていましたが伊藤忠太工学博士の設計で当時の様式にならい、大正六年(一九一七)に建立されたものです。出家し敗鏡尼と号した大楠公夫人はここで正成・正季・正行・正時ら一族の菩提を弔いました。
「世の憂きも 辛きも忍ぶ思いこそ 心の道の誠なりけり」尊氏より届けられた父の首級を見て、父の後を追おうとした正行を母久子が制止し諭す有名な場面です。山門前に、昭和十年大楠公六百年祭に竣工された銅像。
夫人の念持仏、十一面観世音が祀られていたお堂です。草庵とともに当時の様式で再建された簡素な小堂です。側にはささやかな夫人の墓所があり、傍らに楠木氏一族の供養塔も建っています。
峰條山観音寺は、もと正行が在世中、後醍醐天皇崩御の後に太上皇を君主として仰ごうと峰條山の一角に一殿を造り、天皇の念持仏であった千手観音を安置し峰條山観音殿としますが、夫人没後は正行の弟楠木正儀が、観音寺と改め、楠木家の菩提寺としました。これも久しく廃滅していましたが、楠妣庵の再興に続いて大正十一年(一九二二)完成、昭和三年(一九二八)には書院も落成しました。