有名な大寺院から町の小さなお寺まで渾然一体となっているのが特徴。また役行者や聖徳太子、行基、弘法大師等の開基によるお寺が多いのも特徴の一つです。信貴生駒山系に沿って点在する河内西国霊場ならではといえるでしょう。
庶民の巡礼として親しまれる観音霊場巡りですが、その起源については分からないことが多いようです。平安末期聖たちによる霊場巡りに始まり、室町時代になって一般の民衆にも広まっていったというのが通説。
いまも各地で西国三十三カ所観音霊場にちなんで三十三寺院を巡礼する「観音巡り」がさかんです。霊場の基本数である三十三は、観音菩薩が三十三身に化現して衆生を救うという『観音経』の説によるもの。
「河内西国観音霊場」といっても 、時代により、その構成、内容が異なり、お寺も変わっています。もともと江戸時代からあったものですが、衰退と復活、エリアの変遷などを経て今日にいたっています。
身軽に旅行ができる今の時代と違って、一般庶民が巡礼に回るようになったのは江戸時代末期から。巡礼には物見遊山がつきもので、身近な場所の霊場として河内の庶民に親しまれていたようです。