季節の行事を中心に、
法語=一見阿字
◆大阪府東大阪市西岩田1-2-21 TEL072(961)4860
岩田 観音寺は宝暦五年(西暦一七五五年)、この地の人で、慈雲尊者に深く帰依した高峰智興大尼が開基。正法律根本道場として弟子の教化につとめたと伝えられています。また慈雲尊者が河内巡回の折、よく当寺に立ち寄ったということです。
その時書かれた梵字が尊者の足跡として瓦などにのこされており、その一つを本堂屋根の鬼瓦に見ることができます。六方石を枠にはめ、建てられたという山門の扁額も尊者の書によるものです。尚、本尊の十一面観世音菩薩像は弘法大師作と伝えられています。
山門脇に水子供養の地蔵像と夥しい数の供養仏が整然と祀られています。そして本堂の左手横には、修行大師と呼ばれる弘法大師像が建っています。すぐ傍に、端正なしだれ梅の木があり、毎年花の季節には大師像に美しい彩りを添えてくれます。また境内の西北には東大阪(河内)の鎮守・貴之高稲荷大明神が鎮座しています。
その年の安全と繁栄を祈るお正月の法会です。お屠蘇とあめ湯が振舞われます。
節分の護摩祈願がおこなわれます。宗派不問、誰でも参加できます。参拝者には「ぜんざい」のおせったい。
ご先祖にお参りする彼岸法要です。参拝者には「おはぎ」のおせったい。
境内はこどもの縁日。珍らしいメダカすくいや風船つりなどで賑わいます。夜は提灯がズラリ灯されます。参拝者には「わらびもち」のおせったい。
この地の守り神、貴之高稲荷大明神のお祭りです。柴灯護摩が執り行なわれ、沢山のお参りがあります。
※これらの行事のほか、先祖供養・水子供養も宗派を問わず、随時受け付けています。
ちょっと・コラム
近鉄奈良線と大阪線の分岐点となる「布施」駅。この地名が奈良時代の高僧行基にゆかりがあるというおはなし――行基は和泉で生まれ、六八一年に出家して僧侶となりました。父は高志才智という朝鮮半島からの渡来人でした。奈良時代当時は国家仏教といって、僧侶は寺院の中で仏教を学び、政府の行う宗教行事に参加すればよいとされていました。ところが法相宗を学んだ行基は、重税や疫病、河川の氾濫や凶作で苦しむ和泉や河内の貧しい人びとを仏教によって救おうと布教をはじめました。朝廷はこれを民衆をまどわすものとして禁止、弾圧しました。
しかし貧しい人びとはもとより、村の有力者たちも行基の活動に参加、近畿地方を中心に行基への信仰が広まっていきました。この間行基は仏教の布教に従事しながら、潅漑・土木工事にいそしみ、寺院や墓地を設け、布施屋をおいて施しをします。「布施」という地名は、行基が飢え苦しむ人びとのために建てた布施屋からきているといわれています。このような行基の活動は、あいつぐ内乱による社会不安と政治の混乱を仏教の力で克服しようとしていた聖武天皇の目にとまり、弾圧は中止されました。そして行基は、大仏づくりの大事業に参加、大僧正に任命されます。行基によって仏教は朝廷から民衆へと、信仰の広いすそ野がきり開かれたのです。