雷と対決した
法語=和顔愛語
◆大阪府柏原市法善寺1‐10‐20 TEL072(972)1090
平安時代法禅寺という立派な寺院が建立されていたのが、兵乱のため堂塔すべてを焼失、その後に再建されたのがこの壺井寺です。
いまの本堂は明治二十年に再建されたのですが、これは、布忍の大林寺近くにあった永興寺の建物が当寺に運ばれ、そのまま移築されたものと伝えられています。
永興寺はもとの名を布忍寺といい、七堂伽藍の大寺だったのですが、兵火にかかるなどして衰退、明治六年に廃寺となりました。
現在、壺井寺本堂は、その永興寺の名残をとどめる建造物としては唯一のものです。また本堂としては珍しく寄せ棟造りで、そのことからもともとは観音堂であったと考えられています。
さらにその中にかつて祀られていたのが、いま大林寺に安置されている十一面観音像だということです。当寺にはまた、避雷観音と称される本体一九・九センチの小さな聖観世音菩薩立像が、白鳳時代の貴重な銅像として、本堂の厨子に大切に祀られています。
昔、河内は大和川のほとり、津積の郷に法禅寺という大きなお寺がありました。そのお寺の境内にはいつも澄んだ水の湧く壺形の井戸がありました。その水は「仏の水」といわれ、井戸の上に小さな観音さまがまつられていました。その水はまた、安産の薬になるともいわれ、人々の信仰をあつめておりました。
ところが、中世の頃、この一帯に起こった戦で法禅寺が焼けおちてしまったのです。そののち、なぜかこの地に雷がしきりに落ちるようになり、大きな被害があとを絶ちませんでした。
そこで困りはてた里人たちは、日頃から信仰しているあの観音さまにおすがりすることにしました。皆でいのり続けて満願の日、いのりが通じ、観音さまは雷封じを約束されました。
雷のすさまじくあばれるある日、観音さまは雷と対決しました。観音さまにしかられた雷は、たいへん怒り、観音さまめがけてどっと落ちてきましたが、勢いあまって壺井戸の中へドボンとはまりこんでしまいました。
観音さまは壺を手でふさぎ、雷をとじこめたままこんこんとさとされました。ようやく改心した雷は、もうこの里には落ちないことを約束して、やっと壺から出してもらったのでした。
それからは津積の郷に雷が落ちることはなくなり平和な日々が戻りました。以来里人はこの観音さまを「避雷観音」と呼ぶようになったということです。
(「大阪の伝説」から)