法語=念彼観音力
◆大阪府松原市北新町1-10-5 TEL072(331)0718
布忍駅から歩いてすぐ、かつて七堂伽藍の広大な寺院であった永興寺の跡と伝えられる地域から、川を隔てたところに融通念佛宗の寺、大林寺があります。そこには平安後期の作といわれる木造十一面観音立像、室町時代の木造不動明王座像、江戸時代宝永~正徳にかけての肉筆による大般若経六百巻、江戸時代中期の十一面観音の版木などなど…永興寺の隆盛の名残ともいうべき、貴重な遺物、資料が残されています。
永興寺は、奈良時代の僧永興律師によって草創され、布忍寺と名付けられたとされています。のち弘安年間(1278年~87年)に中興され、草創の永興律師にちなんで永興寺と呼ばれるようになったと伝えられています。
その後も元禄三年(1690年)に再興され、幾度か衰退と復興をくり返しながら、明治六年ついに廃仏毀釈の動きの中で廃寺となるに至りました。その後本堂が、現存する唯一の建造物として柏原市法善寺の壺井寺に移築され、本尊とみられる十一面観音立像等いくつかの所蔵品がこの大林寺に移されたのです。
もとは永興寺の本尊で、大林寺に引き継がれた十一面観音立像は檜の一木造りで、像高1.7メートル。平安後期のものと推定されています。均整のとれた美しい表情の仏像で、昭和二十四年には国宝審査の対象にもなりました。
しかし残念ながら手と足が後世のものということで、指定にはならなかったとか。それでもこの十一面観音のすがたの美しいことから、木版でこの姿をあらわした観音図が河内西国朱印掛け軸の中央に配されています。まさに河内西国巡りのシンボルともいえるでしょう。
平成十二年大林寺は建て替えられ、美しく生まれ変わりました。その折に、永興寺跡発掘で出土した平安後期の八葉蓮弁の軒丸瓦が本堂・山門に復元されました。このように随所に永興寺ゆかりのものが工夫して取り入れられており、今はないかつての大寺院の面影をしのぶことができます。
その他にも、南北朝初期の木造阿弥陀如来立像、境内には宝篋印塔や、中庭の鎌倉時代の阿弥陀石仏など見どころ豊富です。