第十五番 大通寺

「この世の名残り夜も名残り死に行く身を譬ふれは…」近松門左衛門『曽根崎心中』お初・徳兵衛ゆかりの寺

第五番札所

法語=三寶功徳最勝量難

◆大阪府八尾市教興寺七ー一一〇  TEL072(941)6648

教興寺塔頭から
融通念佛宗寺へ

高安駅からまっすぐ東へ徒歩約十五分、教興寺の少し手前に大通寺があります。もともとは広大な教興寺の一坊、塔頭寺院であったものが戦火に遭うなど、荒廃していたときに融通念佛宗寺として大通上人によって再興されました。

三十三体の十一面観世音菩薩像は、奈良 西の京 法相宗 大本山薬師寺 前薬師寺 別當探題大僧正 橋本凝胤師によって修復されてよみがえり、本尊脇に燦然と輝いています。毎月十八日には観音講を開催、観音経とご詠歌があげられ、大いに賑わっています。

お初・徳兵衛夫婦塚

境内には、舟形に枠取りされた文字面に「南無阿弥陀仏」と刻まれた墓碑があります。これは曾根崎心中で有名なお初・徳兵衛の墓で、俗に「夫婦塚」または「縁結びの墓」といわれるものです。

伝説では、お初は教興寺村の出身で、曾根崎の廓の年季があけてからこの地で徳兵衛と幸せに暮らすはずでした。しかし幸うすく二人とも死んでしまいます。教興寺の浄厳和尚はこの二人を不憫に思い、碑を建てて手厚く供養しました。それで誰言うとなくこれを「夫婦塚」、「縁結びの墓」と語り伝えられ、縁結びの願いのためここに参詣するものが絶えなかったといいます。

そのころ近松門左衛門が、そんな二人の話を浄厳和尚から聞いて早速これを脚色しました。そして大坂竹本座にて上演され、世に広く知られることになったのが浄瑠璃の傑作中の傑作「曽根崎心中」です。

子安地蔵さんと
矢高厄除地蔵さん

門前の地蔵堂内には鎌倉時代末期の作になる子安地蔵尊と、 もう少し後期の作で聖徳太子 戦勝祈願の縁起をもつ矢高地 蔵尊が祀られています。いずれ も八尾市の貴重な石造遺品と 評されています。