特別客番 葛井寺

天平の国宝千手観音で知られる南河内の名刹。幾多の戦乱に耐えて伝承されてきた観音信仰の法燈。真言宗御室派。

特別客番札所

法語=真観清浄観

◆大阪府藤井寺市藤井寺一ー一六ー二一  TEL072(938)0005

草創・開基

河内の文化は、飛鳥時代より奈良時代にかけて発展しますが、この付近も百済系一族の定住によってより繁栄しました。辰孫王の子孫、王氏一族の「葛井氏」が天皇の崇仏政策に積極的に協力し、この葛井寺も国家のためとして、創建されました。

永正七年(一五一〇)の勧進帳によると、当寺は聖武天皇の勅願による建立で、その聖武天皇が春日仏師(稽文会・稽首勲父子)に命じて千手千眼観世音菩薩を造立、行基菩薩によって開眼されました。

その後平城天皇の皇子阿保親王が伽藍を修復、次いで親王子息の在原業平朝臣によって諸堂が造営されました。寺所蔵の伽藍絵図によると、金堂・講堂・東西両塔をそなえた薬師寺式の伽藍配置を整えていたと考えられています。

動乱の歴史

永長元年(一〇九六)大和明日香、軽里の藤井安基が当寺の荒廃を歎き、伽藍の大修理に尽力。この事より安基の姓をとり、藤井寺ともいい、地名は藤井寺としてそのまま残ります。

南北朝時代から戦国時代にかけ、壮麗な建築美をそなえていた様子を当寺所蔵の文書で知ることができますが、兵火による焼失や永正七年(一五一一)の大地震により諸堂が荒廃します。

それでも観音霊場としての庶民の信仰は厚く、度々の復興で法燈が絶えることなく、ながく継承されてきたのです。戦国末、本願寺と織田氏との争乱のときにも、織田方の禁制下で寺家の安泰を得ました。

その後豊臣秀頼により四脚門が建立。そして江戸時代には、観音信仰はますます盛んになり寺運を支えて今日に至っています。